マネジメント・サポート・ブレインズ
代表 吉田康彦
建コン業界の中小企業建て直し専門 経営コンサルタント
原価管理から社員意識改革まで、奥深く指導し、経営陣&社員が揃ってレベルアップ。
業績不振に悩む中小建設コンサルタントや測量設計会社が、明るい未来を手に入れるための歩みを強力にサポートしている。
実質50年のキャリアで苦楽と共に積み上げた実務経験、企業建て直しのスキルを惜しみなく丁寧に注ぎ込むコンサルティングスタイルに定評がある。
<プロフィール>
高校を卒業後、地元の測量設計会社に入社。
20代の時に業務経験から高規格の道路計画に興味が湧いたのと大学への進学願望が重なって東京へ進出。
建設コンサルタント大手の「パシフィックコンサルタンツ株式会社」に入社。
入社から設計を中心に幅広い業務を担当する中、ようやく大学へ進学するも忙しいため出席日数はギリギリ。期末試験と仕事の打合せが重なった時などは、発注担当者に通学している旨を説明し、後は上司にお任せして学校に直行。ハラハラの連続であった。
夜の授業の後もう一度仕事をしに会社に戻るような生活を続けるも、その甲斐あって無事大学卒業。そして34歳の時には念願の技術士合格を果たす。
この頃から、自分の仕事は自分がつくり出すという意識が芽生える。
役所が発注を予定する業務の企画提案書を作って担当者に売り込み、受注の先鞭を付けるという方法を考案。業界の中ではまだ珍しかった技術営業を実践し、ダントツの受注量を確保。
ただしその反動で毎年部下に多大な残業を強いることになってしまい、残業過多で労働組合のやり玉として査問委員会寸前となったことも。
大いに反省し、部下に負荷をかけずにどう業務を消化するかを考えた末、社内ベンチャーの子会社設立を構想。本社に企画提案を出すとスンナリと承認。
まだ若いということで設立当初は先輩が社長をやったものの、一年後、常務から“やっぱり君がやってくれ”との命令あり、43歳で社長に就任。親会社の管理職と子会社の社長という二足の草鞋を履き、寝る時間を惜しんで働く。妻からは“あなたは子育てに参加していない”といつもぼやかれ、頭が上がらなかった。
約5年の会社経営を経て本社に戻り、部長・支社長・本社営業部長等を経て円満退職。そして2度目の子会社社長に就任。
子会社はその時点で70%の受注を親会社に依存していたが、自立を目指した経営に取組み、親会社からの受注を全体受注の15%程度に減らすことに成功。親会社に依存しない経営基盤を作り上げる。
現在、同社は元請け化と技術の先鋭化に努め、年間売上が9億円に達する規模へと成長を果たす。
その後、請われて地元測量設計会社社長に就任。
就任当初は3億円弱の完成高であった会社が、自らリーダーシップをとって、中期成長戦略の策定、事業計画目標の設定、個別原価管理の導入、人材を生かして使う組織づくりに取り組んだ結果、平成27年の退任時には、完成高9億円へと大幅な成長を遂げた。
同社退任後は橋梁/構造物点検会社顧問に請われ就任。第一線で経営の指導にあたる。
ここでも女性課長を中心に、事業計画目標策定と個別原価管理を浸透させ、利益体質に改革。
また、実務以外でも建設コンサルタント協会、技術士会、土木学会等の業界・学会活動に従事し、三者から本部表彰を受けている。
現在はこれまでのキャリアと経験を、地域の測量設計会社や建設コンサル業界に還元すべく、経営コンサルティングオフィス “マネジメント・サポート・ブレインズ” を立ち上げ代表に就任。
企業の業績が向上するまでの活動をコミット(約束)し、業界と地域貢献をする建設コンサルタントと測量設計会社を一社でも増やすべく、精力的に活動を続けている。
関わった企業からは
「詳細にわたる知見と指導に、非常にワクワクしている」
「学びたい内容が多岐に渡り、尽きない」
といった声を頂戴している。